上顎前突を矯正学的に改善し、全顎的に補綴した1症例
今回は、上顎前突を矯正学的に改善して、全顎的に安全な方法論で補綴処置した症例をご覧頂きます。今回も、自分のことを棚に上げて言いたいことを書かせて頂きますが、ご容赦下さい。
◎症例のイントロ
「 米国人はルックスから、英国人は日本人と同じ? 」
ところで、日本人は民族的に上顎前突が多いのでしょうか?欧米の雑誌に、日本人旅行客が眼鏡をかけ、出っ歯(上顎前突)で首からNikonのカメラをさ
げた風刺絵を、日本人がエコノミックアニマルと呼ばれた70~80年代によく見かけました。これは、日本人を揶揄していたのですが、欧米のヒト達から見る
と日本人にみられる上顎前突が非常に奇異に映ったのでしょう。
米国の中流家庭なら、もし子供が歯並びが悪ければティーンのうちに矯正をすることはごく普通のことです。私的体験ですが、チェルノブイリの事件があった
80年代半ば、米国の中流家庭はヨーロッパの汚染を恐れて、夏のバカンスは遠いハワイに変更して長期滞在することが多かったようです。私の宿泊したホテル
のプールでも、米国人らしいティーンエージャーが沢山遊んでいましたが、皆歯に矯正治療のブラケットを付けていたことを思い出します。ホントにほとんどの
プールで遊ぶローティーンが矯正治療しているので、びっくりしました。
審美的な部分に執拗に固執する傾向は、特に米国人に強いようで、これに比べると例えば英国人などとは対照的な気さえします。
例えば、グラムロックで有名だったデヴィッド・ボウィは、80年代まで乱ぐい歯(前歯叢生)のままでした。クィーンのボーカリストのフレディー・マーキュリーは上顎前突で、それを治さないままこの世を去ってしまいました。また、女性憧れのエルメスのバッグ=バーキンで有名なジェーン・バーキン(フランス在住、実は英国出身)は、前歯が空いた正中離開のまま活躍しています。この3人のショービズ界のセレブリティーがこういった状態なのです。こんな事に象徴されるように、精神性では米国人より英国人の方が日本人に近いように思えるのです。
「 多少の歯列不正なら問題はなし、でも重症な場合は... 」
私は、日常的に歯列不正を抱えた患者さんを沢山診ていますが、歯列不正が余りにも著しい場合以外は、それを「治しなさい」などと滅多なことでは言いませ
ん。多少の歯列不正なら、その方の欠点にならない場合がほとんどだからです。口腔衛生の観点からも、正しい磨き方を身につければ、虫歯や歯周病にならずに
すむのですから。ちょっとした歯並びの不正も他人から観て気づかないことも多いですし、むしろ時としてチャームポイントにさえなる事だってあるように思い
ます。
今回は、そういったチャームポイントなどにはなりえない、ご本人も長い間、気になさっていた上顎前突の症例を矯正学的に改善し、全顎的に補綴治療を施した一症例をご覧頂きます。
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◎症例
患者:鈴木美保(仮名)
性別:女性
年齢:50歳
主訴:右上奥歯の冠が脱落したので治して欲しい
鈴木さんが、「右上奥歯の冠が脱落したので治して欲しい」と来院されました。初めは、脱落部だけを治して欲しいとのことでしたが、お話ししている中で、上顎前歯部の前突も気になっていたので、これを含めて全顎的治療をすることになりました。

上顎臼歯部の冠が脱落しています。これらの支台歯の歯質も変色しています。
そして何より上顎前歯が突出して、前歯では噛み合わせがありません。口腔内に装着している補綴物も不適合なモノばかりです。

鈴木さんは、前突のために唇を上手く閉じられません。ひどくこのことを気になさっていました。前突になる方の唇の周りにある口を閉じるための口輪筋は、
筋力が弱い傾向にあります。口輪筋の力に対して、口の中の舌の突出圧が強いときには、歯が唇側に傾斜するようになり、結果"前歯が前突"することになりま
す。どうやら、前突した状態で以前にセラモ・メタル・クラウン(瀬戸の歯)が装着されたようです。
この症例では、通常の症例同様にまず、全顎的にスケーリング&ルート・プレーニングしてできる限り歯周病学的問題を解決しました。
また、前歯の根尖には病巣が存在したため、歯内療法学的治療(歯根の治療)もしました。(その各々には、コア(金属支台築造)を装着する予定)
そして再評価後、前歯の矯正処置に取りかかりました。
◎技工ラボでの仕事

矯正で歯牙が理想的位置に移動した状態を模型上で想定して、その状態で歯牙が並び綺麗に上下顎で噛めるような状態のプロヴィジョナルレストレーション(以後PRと略す)とコアを作製しているところです。
1.前歯では根管の方向と歯軸とはほぼ一致するので、根管にようじを挿入して、歯牙の平行性などを考慮して、歯牙が理想的状態に移動した状態にセットアップしているところです。
2.1の状態で、各々の根管に適合するコアを作製した状態
3.1を咬合面方向から観たところ。各前歯の平行性がとれています。
4.PRを作製するためのワックスアップ(ロウで歯冠をカタチ作った状態)

5.4を咬合面から見たところ。PRという仮の修復物でありながら、最終補綴物同様の解剖学的形態をワックスアップで再現しています。当院の担当技工士=青木啓高氏の丁寧な仕事には頭が下がります。
6.PR完成後の右側方面観
7.同、正面観
8.同 左側側方面観
*これら、PRは即時重合レジンという一種のプラスチックのような素材でできていますが、加圧釜などで高圧下で重合硬化させているので非常に硬く数ヶ月の使用にも充分耐える耐摩耗性があります。
「 レベルの高い技工士とチームを組むことは必須 」
こういった臨床的接点の多い難しい仕事も、青木氏のような見識ある技工士には可能です。それは、歯科医師と同じ勉強を高いレベルで習得されているためです。私が説明することを難なくラボで実現してくれるので、当院の患者さんへも全く迷惑をかけることなく、素晴らしい治療が可能になります。
臨床家は、技術・知識共に高い、信頼できる技工士と共に治療することは必須です。コストを下げる余り、価格競争ばかりしているような低級な技工所などを
使う医院では、精度ある信頼できる処置は不可能です。患者さんの多くがこのレベルの事情まで理解していないと思いますが....
*自費治療費の違いの根底には、先生の治療レベルや手間などの違いの他に、技工レベル(技工費)の大きな違いも関係していることは知っておいて下さい。(安いところと、高級な仕事をするところでは、技工料は3~4倍以上違います。)
また、近いうちにブログに書きますが、良い治療を受けたい方が自費治療費の額の違いで、歯科医院を選択する(安い医院へ行く)ことは、全くナンセンスであることも知っておいて下さい。
◎矯正学的治療について:
「 Interdisciplinary approach とは 」
私は、矯正家ではありませんから、通常矯正治療はしません。ただし、このケースでは治療費の問題と時間的問題などを考慮して私が行うことにしました。た
だ、今後は極簡単な限局的矯正以外は自身では行う予定はありません。やはり、専門家に任せる方が問題を起こすリスクが低く、安全だと考えるからです。
また、歯周病や補綴処置などに高いレベルの認識がない矯正家の先生とは、共に一人の患者の治療を進めることは難しいと思います。私の場合には、幸運にも
米国でTMDのマスターを取得し、帰国後に矯正医専門医として活躍されているある先生とはコラボが可能なので、その方に歯周病治療や補綴を含むケースで
は、矯正治療を依頼することにしています。
専門医制度が充実した欧米では、一人の患者さんに関して、複数の専門医が分担して治療するような、いわゆる"interdisciplinary
approach"といわれる治療方法が試みられる事も珍しくはありません。そうした場合、各専門医同士の高いレベルでの学問的共通認識とコミュニケー
ションが円滑である必要があります。
「 日本では専門医が育たない 」
ところで、日本には米国でのいわゆる"Board"のようなハードルが高く、本物の権威ある専門医制度がありません。日本には、歯科に限っていえば、各
学会単位で専門医・指導医といったモノは存在しています。ただ、米国のように難しい取得試験がある制度ではなく、臨床家としての高いレベルを保証するモノ
ではありません。
また、現状では高いレベルの本物の臨床教育を行っている研修機関も私が知る限りでは"無い"に等しいと思います。私自身、大学院に入って初めて解った事
ですが、授業すら行われていないのです。最高学府がこの状態ですから、日本には専門医を育てる環境はないと思います。ですから、専門医を目指し向学心のあ
る先生方は、まともな指導をしてくれる海外の大学院に留学するのです。
この状況ですから、interdisciplinary approachも一部のグループや先生方を除いては日本では一般的ではありません。
そういったことから、必然的に日本では一般開業医が多くの学問分野を高いレベルで身につける必要が出てきます。そして、ほぼ一人で難しい症例も治療しなければいかない状況が、一般的になってしまいます。
「 誰にも良い医療機関が解らない現状 」
欧米であれば、治療費は高価であっても、専門医に受診すれば概ね高度な治療を受けられる保証があります。しかし、日本では難しい症状や崩壊した口腔内を
もつ患者さんはどこに行ったら高いレベルの治療を受けられるのか解らないと思います。おそらく、開業医がお金を出して掲載する怪しい「全国名医辞典」や
ネットのいかがわしい宣伝などを参考にして探すことが多いことでしょう。その結局、不見識で無責任な自称"○○専門医"の治療を受けて、トンデモナイ状況
に陥ってしまうことも巷には多く散見されます*。また、専門医が育たない機関である大学付属病院でも、残念ながら高度な治療は保証されません。毎年、何人
ものそういった医療機関で良い治療を受けられなかった患者さんが当院にも訪れますから、これは本当の話です。
*こんな信頼性のない情報に翻弄されて、無駄に時間を費やすかわいそうな患者さんの話も有ります。
◎この症例で行った矯正治療の流れ:
主なステップを解説します。

前歯部には、金属製コアをセットして、さらにPRを装着し、ブラケットをPRに付けた状態で矯正治療を始めました。
1.ライトワイヤーで手始めに、歯牙を挺出させた。
1-2.矯正を始めた時点のオーバージェットとオーバーバイト(水平・垂直的噛み込みの距離)の状態に注目。前歯部では咬合していない(開口状態と同じ)
2.矯正用ワーヤーをベンディング(曲げて)して、4前歯を舌側に傾斜移動すると同時に、下顎方向へ挺出させるために工夫した。
2-2.オトガイ(あごの)方向から観た噛み合わせ像:下顎前歯と咬合するには、まだかなり距離がある。

3.2より1ヶ月ほど
3-2.2-2より更に歯牙移動が認められ、上顎中切歯2本が下顎前歯とほぼコンタクトした。
4.この時点から、金属製ワイヤーを外し、パワーチェーン(矯正用のゴム)に交換して、単純な舌側移動のみを行った。
4-2.もう少し側切歯を舌側に移動させる必要があるため、PRのコンタクト部を削り、更に側切歯が移動できるようにした。

5.ほぼ歯牙が理想的な状態にまで移動した。
5-2この程度まで移動できれば、補綴学的な範囲で充分上下顎前歯の咬合獲得が可能。
6.5の時点でPR同士を即時重合レジンで連結結合した。ここから、数ヶ月保定期間に入る。
6-2咬合は良い状態が得られた。
◎外科的処置:

手術で、歯肉を剥離した状態
この外科手術の意図するところは、極めて専門的な事になるので、詳しい説明は割愛します。
要するに、矯正学的に傾斜や挺出といった歯牙移動をした際には、歯根膜組織と共に、歯槽骨も局所的に吸収や添加されますが、移動後保定期間になってもその後に上手く生物学的で生理的な歯周組織の環境が整わない場合が多いため、外科的に修整します。
今回は、前歯部の最終補綴物を連結するため、永久保定状態になりますが、上の手術をすることで、後戻りもかなり防げるようになります。
補綴物が脱落した臼歯部分の歯質は縁下まで着色と共に一部軽い軟化状態を呈していたため、縁上に健全歯質がでるよう修整しました。この結果、右側臼歯~
犬歯は、歯冠長が長い状態を呈することなりました。見かけ上の欠点にはなりますが、健全歯質のみ保存できたため、後年歯根が腐るリスクは低くなります。

オペ後、緊密に縫合した時の状態
オペ後約半年、PRのまま数ヶ月保定した後、支台歯を再形成し印象しました。
◎最終補綴物:

技工士による最終補綴が出来上がりました。
鈴木さんの場合は、臼歯咬合面は笑っても目立たないため、セラモ・メタル・クラウンは、咬合面は金属で覆うタイプにしました(もちろん、陶材で覆うフルベイクタイプでも作れます)。また、臼歯には全部鋳造冠も装着しました。
上顎前歯は5本の連結冠で1ユニットとし、臼歯部がダメになった際には、臼歯部に局部床義歯を装着できるよう、犬歯(上顎右側犬歯:13)には、維持装
置のレストがかかるように設計されています。同様に、臼歯も局部床義歯を意識したレストが掛かる設計を下顎右側臼歯(46,47)と下顎左側犬歯(33)
に施してあります。
このように、ある程度の年齢になった患者さんには、比較的近い将来問題が起こることを仮定した設計も必須です。大幅にやり直しをしなければいけないよう
な設計は、患者さんには迷惑をかけることになります。安全で、問題が生じたときに対応が可能な設計を可能な範囲で補綴処置に施すことが必要です。

矯正学的治療によって、上の写真のように上顎前歯の前突が改善されました。

噛み合わせを観ると、このように充分な前歯部での咬合が得られました。

術前と比べて、前歯部の状態のみならず、口腔内環境が改善された状態にもご注目頂きたいと思います。

術前と術後です。
口元の完成で、鈴木さんもよろこんで頂けました。
・・・
*私のブログは、全て実際に私が治療した症例の資料を基に、私自身が全て書いたモノです。当院の診療姿勢やエッセンスとお考え下さい。(多くの医院HPのように業者提供の写真・資料や他人の症例の流用ではありません。)
◎当院では、他院ではイイ加減に行いがちな目に見えないレベルまで基本的治療を正確に行っています。精度ある正しい治療をご希望の方、歯でお困りの方は、麹町アベニューデンタルオフィスへご相談下さい。

































